manukachangのブログ

日常でふと考えたことを残していきます。

「料理」は趣味と言えるのか?

料理は趣味と言えるのか。これは就活において趣味について聞かれることが特に多くなったことをきっかけに考えるようになった。

 

オードリーの若林さんの本『社会人大学人見知り学部卒業見込み』では、無趣味であることについて言及されていて、そこでは趣味は自然と身につくものであって、作りだすことは出来ないという経験談や、趣味は若い人であればプロフェッショナルへと磨かれてしまうため老人が持つ物であるのだと他人から聞いた話が書かれていた。

 

何をもって、どんな状態であれば趣味と言えるのか、明確な定義をすることは難しいと思う。実際私は就活においても私生活においても「料理が趣味です」としばしば答えるのだが、正直自然と身についているものだとは思えないし、趣味とはそれほど思っていない。そもそも料理は元来人間が生きるために必要な行為であるから、「うわー料理ってついついやっちゃうよなぁ」という感覚は別に普通のことなのである。食べる物が無いと生きていけないことは言うまでもない。人より一から調理をすることが多いだけでそれを趣味と呼んでいいのだろうか。そんな疑問が浮かぶのである。

けれど、料理をすると一口に言っても、冷凍うどんを解凍するのと野菜を切ってスープカレーを作るのとでは大きく異なることは分かる。そして、料理が趣味だと豪語する人はそういう時に何を作っているのかというと、完全に後者であることも分かる。つまり、少し手の込んだものを作ろうとしているのかなと思う。

しかしここで少し冷静になって考えてみると、こういったものを毎日作っている人は世の中にごまんとおり、カテゴリーとして存在もしていることに気づくだろう。それは母である。父親が料理をする家庭もあるかもしれないが、そういった役割を担っている人物と置くと彼らは日々異なった料理を作っているスゴい人たちなのである。ここまで来たらもう趣味ではなくプロの領域なのかもしれないが、彼らからすると料理を趣味とする人のことを見ても、それが自分たちにとっては普通だと思うのである。

つまり何が言いたいかというと、料理=趣味と捉えるかどうかは、当事者や第三者の状態や感覚によって異なってくるのである。そうなってくると、「釣り」だとか「読書」だとか誰が聞いても趣味だなぁと感じるものと比べて、料理はやはり趣味とするには不安定であるのだ。

 

そこで私は、料理を趣味とする人にはもっと別の側面があるのではないかと考えた。さっきも言ったように、手の込んだ料理を作る人がいるとすると、それはなぜなのか?色々考えられる。例えば美味しい料理を作りたいからという理由があるとすれば、それはつまりスキルを磨きたいということに繋がる。それを日常的に行うとすると当然改良を重ねていくことが想像できるが、それはつまりレシピを生み出したいということにも繋がるだろう。「レシピを編み出すことが趣味です。」これは料理をするのと同義であっても、とても立派な趣味に感じるのではなかろうか。料理というものは手段であり、それで自分は何を成し遂げたいのかという所に本質があるのだと思う。

 

趣味と言えるほど意味のあるものにするには、長く続けていくためには、それを通して自分がどうなりたいのかを考えていくことが大事なのである。何も考えずに楽しくやれるのが趣味でしょうが、とも思うけれど、これは人生において自分を形成していく中で、簡単に自分を見つめることが出来るツールであるのだ。だから、中々趣味が見つからなくて困っている私も、日常的に好んで行っていることにどんな意味があるのか、どんな動機を持って行動に移っているのか、考え直してみたいと思う。考えたその先になりたい自分、新たな趣味のアイデアがきっと転がっているのである。